感想など何でも掲示板



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


59件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[59] ありがとうございます。

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 5月22日(月)20時11分35秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 インタビュー記事の紹介、ありがとうございます。さっそく読んでみました。おっしゃるとおり全体像が浮かんでくるような話の構成で、わりと分かりやすく編集されていたように思います。
 そうですね。nishiyanさんが言うように、山本哲士に関していえば生活実感というものが話や文章の中には感じられませんね。そういうところはこの人はホントに出さない人なんだなと思います。それで、ぼくとしてはそういうところに関係なくこの人の文章を読んできました。主にイリイチを論じているころから読んできたのですが、どう言えばいいでしょうか、一途に知や思想の探究に努めるあまり、その他は全部捨象したというか、犠牲にしてかまわないと考えているんじゃないかという印象を持ってきました。そうじゃないとあそこまでいろんな思想家の言説を読み込めないだろうという気がしました。そういう意味ではちょっと日本では見られない希有な人かなという感じです。書物の世界が生活世界のような人です。
 nishiyanさんは、「吉本主義者」ということばを口にする山本哲士が嫌いだということですが、ぼくとしてはその言葉はあまり届いてこないし、感情の針も動かないです。だいたいが「吉本主義者」と呼ばれる人たちがどういうものか、またそういう人との接点も皆無です。たぶん山本さんには特定のイメージがあるのだと思いますが、nishiyanさんもぼくも、その埒外ではないでしょうか。ほかにもたくさんの吉本さん好きがいるようですが、どういう人が該当するのかぼくには分かりません。分からないので、関係ないなと、それだけです。
 この人でびっくりすることは、詩を書いているんだということでした。どこかで、詩集を出しているんだと聞きました。別に読んでみたい気もしないのでそのままにしていますが、へえーと思いました。ぼくとしては、山本哲士に関しては、理論的な真摯さや、世界思想の最前線に挑んでいるところに注目しているので、それ以外には興味を持っていません。ただし、理論に関しては一流じゃないのかなと考えています。まあホントは分からないんですけど、自分の中だけの基準、判断ではそういうことになっています。




[58] 山本哲士のインタビュー

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 5月21日(日)12時11分46秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

山本哲士のインタビューのようなものを見つけました。今までのいろんな喋りが謎解きのように割とわかりやすく語られています。また、相変わらず「吉本主義者」なる馬鹿な言葉を二回も使っています。なんかこの人の言葉や思考には、吉本さんがたぶん重視した「実感」があんまり感じられません。そこがまずいなとわたしは思っています。吉本さんの言葉や論理は、日常の生活経験のなかで誰もが感じそうな「実感」につながっていると思います。


読書人紙面掲載特集 2017年5月18日
山本哲士著『吉本隆明と『共同幻想論』』(晶文社)公開トークイベントの「抄録」
http:  dokushojin.com/article.html?i=1351
(※リンク外しのために「http:」の後の「//」を抜いています)



[57] 老人ホームの題で

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 5月 8日(月)08時59分47秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

借りてきた
猫を装う
老いの群れ



[56] nishiyanさんへ

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 4月30日(日)16時28分14秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 森崎さんという方のサイトへ飛び、示されていた文章をざっと読んでみました。その上での感想ということでいいますと、とても真摯に考えられ、書かれている文章だなと思いました。つまり自分よりもよく思索し、探索されている方だという印象を持ちました。もっと言うとよりプロ的という感じです。
 書かれていることの中身でいうと、内田さんのことといい、天皇制のことといい、あるいは中村哲さんのことでもいいけれども、森崎さんの言いたいことの中心からいえば、そんなに力を込め、時間をかけて言うまでもないのではないかという思いを持ちました。内容的には同感ですが、そんなに時間をかけることじゃないという思いです。こんな言い方はちょっと生意気で撤回すべきかもしれないですが、時間がないところなのでこんな言い方で失礼します。とりあえず、率直なところを言いますとこんな思いを持ったということです。



[55] Re: ありがとうございます

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 4月29日(土)14時37分58秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

 ていねいな捉え方だと思います。ありがとうございます。
 現在の内田樹でも山本哲士でもわたしたちと違って知の世界の具体的な前線に出ていますね。その点からの言葉なんですが、もちろんわたしたちと比べものにならない位に知の世界を走行してきたということもすぐれた仕事も成してきたということも認めるのですが、今回の文章は台無しじゃないかと思ったので佐藤さんの感想を聞いてみようと思いました。佐藤さんの評価はいくらか好意的すぎるかなと思いましたが、もちろんそれはわたしの山本哲士に対する直感的なイメージにすぎません。ともかく注視続けるに値する存在とは思っています。

 ところで、内田樹が、「私が天皇主義者になったわけ」(『月刊日本』2017年5月号)という文章を載せているらしいです。まだ読んでいませんが、「歩く浄土163」に一部引用されているようです。この文章を書いている森崎茂は、遠い昔、博多での吉本さんの講演会で知ったのですが、面識は全くありません。ネットで偶然みつけて、絶えず疑問符を付けながら読んでいます。キーワードが何かはわかるようになりましたが、言っていることがよくわからないんです。ただ、ものごとをしっかり考え続けてきたんだなという感触は伝わってきます。

 (http:guan.jp/) (Guan 森崎茂公式サイト)
歩く浄土162:情況論49-外延知と内包知2:天皇制をめぐって-内田樹の転向1
歩く浄土163:情況論50-外延知と内包知3:天皇制をめぐって-内田樹の転向2
 ※この掲示板へのリンクにならないようにurlから「http:」の後の「//」を外しています。



[54] Re: できれば感想を聞かせて下さい

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 4月29日(土)09時32分17秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用 > No.53[元記事へ]

 仕事の方はひととおり覚えることができたという段階で、俯瞰して考えられるようになりました。基本的には単純で、建物各棟の戸締まり、施錠を確認することです。私学の高校と大学が敷地内に併設されていて数が多く、繰り返しが勝負になります。
 どの仕事もそうなんですが、他の人は本当に律儀で、反対にぼくはルーズなところがあってそれとの格闘が仕事継続の中心かなと思っています。つまり、外からも確認し、内側からも確認することを教わるわけですけど、石橋を叩いて渡るみたいなことが警備の仕事だとしてみんなやるわけです。ぼくはそういうところは少しルーズなところがあるなと、反省的に言えばそういうことになります。でも単純ですから、また嫌いな運動にもなると考えて、しばらくはっやっていきます。夜の勤務のリズムはまだつかめていません。

 さて、山本哲士の文章の件ですが、ぼくは昔の山本の文章はもう少し分かりやすかったと考えています。主に学校論、教育論を展開していたあたりの文章ですが。当時は、分かってもらおうという気持ちがあって、言葉を選んだり書いたりしていたと思います。最近はあまり読んでもいないのですが、どちらかというと他者に理解してもらうことをあきらめたような文章、書き方になっているとおもいます。それで、少し前に吉本さんの仕事をまとめて評価するような本があって読んだんですが、「吉本隆明と『共同幻想論』」でしたかね、どこか息せき切って論じているような面が感じられ、評論や批評の本として高い評価はできないけれども山本ならではの視点を貫いて読み解こうとしているとは思いました。つまり言葉遣い、文章のわかりにくさもあって、今もまだ評価としては保留の状態にあります。
 ぼくなんかはホントは分からないことなんですが、山本は世界の思想的な現状の最先端を、言語の垣根を越えてとらえ、自分もその最先端を走ろうとしているんじゃないかと思います。そこには山本だけが見えている風景があるんだろうとは思います。見えているように突っ走っているなという気がします。ぼくはそれで、実際の彼の最近のブログなどの文章は、雑で、しかも理解を拒否するみたいな書き方をして、なんだコイツ、と思わないでもないのですが、こちらから少し山本のほうに近寄っていくようにして、それで少し言っていることの片鱗だけは感じ取るというような読み方をしています。理解しているわけではない、そうだそうだと思いながら読んでいるわけでもありません。でも、少しだけ、山本がどういうところにこだわっているのかが分かる気がするところもあるのです。全貌はちょっととらえきれないので何とも言えませんが、ある意味でかなり核心部分を考え、詰めるように思考しているなと思うのです。nishiyanさんの評価だとかなりボロカスになりそうですが、もちろんその原因は山本の文章にもある気がします。確かにそう読まれる可能性を含んでもいると思います。ただ、山本がやっていることは孤軍奮闘の部分があり、誰もやらないという孤独性もあると思います。シニフィアンやシニフィエといい、分かりにくい言葉を多用するのは、おそらくは邦訳しきれないという、かなり外国ものに通暁してきた過去の経験から出てくるものでしょう。吉本さんをどのように評価するかということで、今のところ山本ほど世界水準に置いて突出した存在として吉本さんを高評価する存在はほかに見えません。埋もれさせたくないという意志は明瞭です。そこはぼくには分からないところですし、何ともいいようがないところなのです。
 元に戻りますが、山本のブログの文章は酷いというのはぼくも実感しています。ただその酷さは、言い得ないところを言おうとしているためなのだと半分好意的に受けとめて読んでいます。例に挙げられた二つの文章はことに酷いことになっていると思わないでもありませんが、かすかにですがぼくには分かる部分もあります。乱暴な言い方ですが、山本は誰も考えている奴はいねえよと言いたいのだと思います。考えていると思い込んでいる奴ばかりだと。別の言い方をすると、システムから言わせられている、そのように考えさせられている、ということになるでしょうか。
 主語性様式といい、述語性様式といい、これを解説するのは大変面倒くさいし、またぼくにもはっきりと理解されているわけではありません。今のところは漠然とですが、便宜的に言語のヨーロッパ様式、日本様式くらいに区別してとらえています。

> この件は、わかりやすい言葉でわかりやすく述べることはできそうに思います。山本哲士はなぜわかりやすい言葉を志向しないのか、わたしたちの生活世界に向かって言葉が閉じているからではないかという疑念を持っています。

 山本がnishiyanさんの言うところを志向していないことは確かだと思います。そういうところを捨てているんじゃないかなという気もします。あるいはあきらめているというか。ただ、ぼくには判断がつきません。
 以前に、晩年の吉本さんが糸井さんとの対談めいたところで、山本と思われるような人物にたいして批判めいた言辞をしているところがありました。それが山本のことかははっきりとは言っていないのですが、多分そうだったと思います。それはつまり、山本の半分世界に目を向け、世界に出ていこうとする姿勢についてだったと思います。危険な言い方をすれば山本には野心があり、マルクスたらんとする願望があって、そういう部分を批判していたんだろうと思います。そこで自分の身体出処の重きを置くところが違ってきます。ぼくも山本の全的な姿勢については、どうかなと思うところはあるのです。ですが知的生産の部分では無視できないところがあると思っています。

 長々とまたうまく言えませんが、だいたいはこんなところでしょうか。また何か思いついたことがあれば発信してみます。今日はこれで。








[53] できれば感想を聞かせて下さい

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 4月28日(金)14時41分33秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

 今までと生活時間がずれていて仕事はどうでしょうか。大変さもあるだろうと推察します。ところで、山本哲士が「今村復興大臣の「失言」という本音のシニフィアン:主語制シニフィアンと客観へのシニフィエの共謀」(2017.04.28)という文章をブログに書いています。

 山本哲士は、「吉本主義者」という言葉をずいぶん前に振り回している文章を目にしたことがあり、あ、これはダメだと思った覚えがあります。自分は「吉本主義者」だという人も居てそれは別に構わないと思いますが、他人をそう呼ぶ時点でその思想の程度が測れると思いました。それで、『心的現象論本論』も買わずにいたのですが、吉本さんが姪について触れたその「あとがき」をどうしても読みたくて先日、古本を買ってしまいました。佐藤さんが先だって山本哲士を少し評価するようなことを書かれた時、こうした事情から、また中身を読んでいないことから、うーんどうだろうと感じましたが黙っていました。

 わたしはこの文章はもう無惨なものだ思います。わたしにはよくわからない「シニフィアン」や「シニフィエ」や「主語制」と言った言葉を振り回していますが、まったく何を言っているのかわかりません。故郷でのイエスの演説を見聞きする民衆の一人のような気分です。この件は、わかりやすい言葉でわかりやすく述べることはできそうに思います。山本哲士はなぜわかりやすい言葉を志向しないのか、わたしたちの生活世界に向かって言葉が閉じているからではないかという疑念を持っています。この文章やその前の少し内省的な文章(「知識人なんていない、ただひたすらわたしは「考えている」のみ。」2017.04.22)に対する佐藤さんの感想を聞いてみたくて書き込みました。



[52] Re: 文学の現状について

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 4月26日(水)15時04分24秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用 > No.51[元記事へ]

 ぼくなんかが漠然と考え思っていることを、整理してまとめて言ってもらったという気がします。nishiyanさんのおっしゃるとおりだと思います。「飽和点に到っている」というところで噴出してきたいろいろな問題点ということですね。いろんな分野・領域を眺めても同様のことが起こっていると考えると、なんとなくすっきり見える気がします。ただ飽和点の内実というとぼくはまだあまり分かっていなくて、よく観察し、腑分けしてみないとなと思います。

 だいぶ前に明治のころの詩を、ちらりと言う程度に読んだことがあるのですが、何と言うか、熱気みたいなものをすごく感じました。ヨーロッパの詩を学び取る、自分のものにするという意気込みみたいなものです。その時に、これは当時の学者たちのヨーロッパ知に対する姿勢や意気込みに共通するように思えました。ぼくの勘では、戦前から戦後にまで続き、そのあたりである程度納められるところは納められるまでに到ったという気がしています。欧米人の考え方の深層にやっと手が届いたんじゃないかなと思うのです。そこからnishiyanさんのいう飽和点まで一気に進んで、現在は、はてさて、というところに差し掛かっているのかなと言う気がします。
 これ以上のことはぼくなんかには分からないところで、また手が届かないところでもありますね。政治の迷走なんかを目の当たりにしても、一事が万事で、他の領域・分野でも同様の状態を呈しているんだろうと思います。どう言えばいいんでしょうか、ぼくなんかは生きていくのに自己諒解をしつつというところを欲しているのでこんなことまで考えてしまいますが、つまるところ世界認識、把握の問題で、現実がどうなっていくかはあずかり知らぬことのように思っているのかもしれません。ただ、営為、やりたいことをやるだけですね。変な締めになったかもしれませんが、今日はこれで。



[51] 文学の現状について

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 4月25日(火)12時22分43秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

例えば近代においてだと思いますが、文学とは暗いもの、暗さや深さや生真面目さのイメージを価値とする傾向を持っていました。それがある時期、高度経済成長期頃からでしょうか、楽しいことや軽いことがその暗さや深刻さに代わって登場してきました。今ではそれが普通になっています。これはそれ以前に比して社会が豊かさや余裕を持ったためだと思います。

もともと、文学(芸術)は、読者(観客)の側から見れば、もてなし楽しませるという要素と感じ考えるきっかけを提供してくれるという要素とを併せ持っているように思います。文学も映画もそのどちらに力点を置くかで、エンターテインメントの作品や純文学の作品となっていたのでしょう。

そのいずれかの点で、読者を引き付けることが出来なければ、書き続けられていったとしても商売としては衰退していくほかないのでしょうね。ぼくらは単なる読者ですから、小説が滅びようが構わないと思いますが、たとえ滅びてもそれに代わる人間的な表出や表現が止むことはないのは確かだと思います。

今、村上春樹の『1Q84』(2009年)をやっと読み終えて、最近出た『騎士団長殺し』を読み始めています。今度は若い画家が主人公のようで、「騎士団長殺し」という他人の絵が作品に大きく影を差しています。『1Q84』もそうでしたが、いろんな謎や仕掛けが周到に物語世界の流れに設置されていて、読者を物語世界に引き込みます。これらはエンターテインメントの要素に当たると思います。まだ、出だしで作品の生真面目なモチーフの流れは見えていません。

漱石の時代の読者規模を想定してみると、当てずっぽうの推測に過ぎませんが、まだ今で言う大多数の普通の人々にまでは届いていなかったような気がします。つまり、地方であれば生活や経済力に余裕のある地主層くらいまでではなかったかと思います。そこからすると、作者の数も読者の層や数も大きく拡大してきたのだろうと思います。ただ、川端康成の頃とは違って、作家専門では食っていけない時代にはなっていますね。現在は、他の諸問題と同様に文学もいろんな問題を抱えたある飽和点に到っているような感じがします。



[50] Re: 白川静について

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 4月24日(月)13時19分51秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 白川さんと町田さんの本を見つけて、とりあえず読んでからご返事しようと思っていました。白川さんのを読んでたら、感想を書いてからと思い、公開後、さらにメールかこの場での返信にしようかと迷っているところでした。
 町田さんのものは、数ページ読んでまだ先に進んでいません。こういう読みの流れだと最後までたどり着くかなと心配です。書名は「どつぼ超然」です。
 純粋(?)に読書する、読書を楽しむというのはどうもぼくには難しくなったような気がします。現在社会ですと、やっぱりテレビにいくとかネットの動画配信に流れるとか、そちらの方が安易に楽しめるからそうなるんだろうなと言う気がします。こんな状況で読者を引きつける作品というのを書ける人って、そんなにいないんだろうなとも思います。ぼくは一般生活者の立場でそう思いますが、でも、相変わらず文芸愛好者という存在は存在しているようにも見えますし、そこのところはいったいどうなっているのだろうかといつも疑問です。それでぼくは国民の大多数、いわゆる大衆的な存在にとっての文学の存在意義っていうのは、終わっているのかなって時々思います。ぼくの住む、地方で、しかも町の書店みたいなところでは、文芸書のスペースは本当に縮小されてしまって、見る影もないって感じです。
 地方の町では、詩や小説の研究会みたいなものはあまり耳にしませんが、短歌の同好会、研究会は時々目や耳に触れ、あちこちで継続されている様子です。これはずいぶん息が長く、細々とかもしれませんが、これからも続いていきそうな気がします。実際に真似事でやっていますと、日本語にまた日本人の感性になじむ形かなと思います。そういう研究会に入っている人などは、逆にテレビのドラマやお笑いなどは物足りないのでしょうね。…ちょっと長くなりました。今日はこれで。


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