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カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


47件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[47] 白川静の迫力

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 3月29日(水)00時20分4秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

白川静の「文字講話」は、松本孝幸さんの「読書倶楽部通信」の紹介で知り、読んでみようかとなりました。今までに何冊か読んでいますが、「文字講話」には長い研究と洞察のもたらした力の凄みのようなものを強く感じました。漢字などの細かな説明は少し流し読みしながらⅠとⅡは割とすらすら読みました。『文字講話Ⅲ』を停滞気味で少しずつ今読んでいます。ⅠかⅡだったか文章に少し出て来ますが、本場中国の学者がはっきりさせ得なかったこととか、間違っていた解釈を、はっきりさせたとか、いろんな功績もあるようですね。

 あと、誰かの文章で偶然知ったのですが、「(特別寄稿)皇室は遙かなる東洋の叡智」(「文藝春秋」2005年4月号 白川静9ページ分)という文章もあります。もう最晩年の文章です。もし、図書館にバックナンバーが保存されていたら読まれたら良いかと思います。自らの積み重ねた学と見識からの静かな文章になっています。




[46] ありがとうございます

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 3月28日(火)14時30分45秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 午前中、用事のついでに図書館に行き、nishiyanさんの文中に見られた白川静さんのものを2冊借りてきました。「文字講話1」に、「文字以前」のタイトルを見つけて興味を持ちました。また気楽に読めるかと思い、対談ものを一冊。掲示板は帰ってきて見たものですから、お薦めの町田康は次回にしようと思っています。

 白川さんて、名前だけは知っていましたが、コツコツ文字の研究に打ち込んでいるイメージで、どうしてそんな人の名前が多くの知識人の口から飛び出すのか分かりませんでした。ま、そのへんの匂いがかげたらと思っています。



[45] お薦めは

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 3月28日(火)11時15分52秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

 今、村上春樹の作品の読書日記をやっていますが、これは一年ほど物語作品への入り方を自分なりに考えたましたが、(本当に考えたの?)という自問に答えるために書いています。つまり、具体的な作品の批評にちゃんと応用できるかな?ということです。それと、読み終わってのまとめた批評ではなく、作品を読みながらのメモもおもしろいかなと思っています。

 小説はそんなに読んでいません。(それにしても小説家の数は大層なものではないでしょうか。)よく読むのは、この村上春樹や吉本ばななや町田康くらいですかね。町田康のは一般に楽しく読めます。好き嫌いあるかもしれませんが、独特の語り調のもてなしが良いです。シリアスな『告白』のような作品もあります。猫もの犬ものの随筆とも物語ともつかない作品もあります。どれでもいいから一冊読まれて気晴らし以上であればお薦めだと思います。



[44] お薦めの文学書はありますか

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 3月27日(月)21時49分3秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 投稿ありがとうございます。いやあ、おっしゃるとおり遠く及ばないどころか、ぼくの場合はいつも「超えられない、超えられない」という呟きになってしまいます。それは、普通の人の考えや、仮想の読者の考えを超えられないという意味あいでの呟きですが、時々はもう少しじゃないかと思うときもあります。
 ところで、nishiyanさんのブログでは小説批評もよくされているようにお見かけします。ぼくはあまり読書をしなくなった上に、小説の類いはからっきしになってしまいました。2週間に一度くらいの割合で図書館に行っていますが、本を借りても吉本さん以外のものは途中で投げ出してしまうことが多いんです。これは読んだ方がいいよと、もしおすすめの文学書がありましたら教えて下さい。



[43] 表現問題はさておき

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 3月27日(月)14時04分57秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「あとがき」のようなもの読みました。「障害」の考察、お疲れさんです。わたしも一年くらいかけて少しずつ「物語」の考察をしたことがあります。そのことは自分なりの考えや表現の力の源泉になるのではないかと思っています。佐藤さんもそのことを感じておられるのではないかと思います。ふたりとも、吉本さんが『言語にとって美とはなにか』を仕上げた後に「勝利だよ」と思ったという言葉には遠く及ばないと思いますが。ほんとに「手を動かす」ことを持続していくことが大事だと思っています。



[42] 27日の作を別に

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 3月27日(月)12時37分55秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

古稀数え
三日を伸ばす
無精ひげ




[41] 積年の悩みです

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 3月27日(月)00時13分14秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

 具象・具体の部分は意識的にやらないとできないですね。本当はたぶん、それを持ってくるのは自分の本意ではない気がします。その方が伝わりやすいから持ってくるということを努力してやっているのだと思います。言い方を変えると、自分には才能が無いし、合わないことを知っていてやっているんだと思います。積年の悩みですね。
 どうしてそうなんでしょうか。本音を言うと、視覚聴覚などを通した表現に興味関心が持てないのです。現実生活的具象性というものを実感できないところもあります。そしてそれに代わって観念にわいてくる言葉というものが、超越性を帯びて酷く現実的な重みを持って感じられてしまうのです。一種の転倒なんだと思いますが、何か資質としてもう与えられてしまっているというようにいまは受け取っています。こういうところも含めて、まあぼちぼち歩みを進めていくほか無いなあと思っているところです。



[40] 表現のこと

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 3月26日(日)11時41分24秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「ぼくの作品が概念過多で生命観に乏しいものになっている、というように受け取れました。」ということですが、確かに今までにそれを感じたことはあります。わたしも詩を書き始めの頃はそうでしたし、いまもどこかにそれは残留しているかもしれません。佐藤さんが、今の詩を書き出されたとき(2017/02/05の詩)、おっ、いいなと思った覚えがあります。具体的なものに関わるイメージの表現だったからです。

 今回の「作品が概念の枯れ林にならないようにするには」というのは、一般的にかつ自戒をこめたものとして表現しています。

 ところで、音楽でもダンスでも詩でも初めは憂さ晴らしや解放感や楽しみがあるのでしょうが、突き詰めていくときつくなりますね。もちろん、解放感はなくなることはないと思いますが。それでも人は突き進みますね。そして、苦しみながらも万人にとってかつ自分にとっての生命感の放出や感受を目ざしているように思います。(もちろん、万人ではなく内閉する個の世界への固執ということもあり得ます。)



[39] 投稿ありがとうございます

投稿者: 佐藤公則(管理者) 投稿日:2017年 3月26日(日)09時50分5秒 218.231.162.99.eo.eaccess.ne.jp  通報   返信・引用

 昨日の投稿では2つのご指摘をいただいたように思います。手っ取り早く言うと、1つは1個の作品それ自体として自立できなければダメなんだということ。もうひとつは、ぼくの作品が概念過多で生命観に乏しいものになっている、というように受け取れました。日頃からそういう短所、欠点は感じているところなので、言われているところはよく分かるような気がします。また克服したいと思っていても、なかなかできないでいるというのが実際です。一人で自己満足的にやっていると、こういうところから抜け出ることは難しいことだと感じています。
 2つめの自己表出、指示表出からいうと、nishiyanさんの「短歌味体」を主とする表現は、とても意図的、意識的な表現をされているんだなという気がしています。擬音やあわわことば的表現、あるいは解体の表現、表現の解体みたいなところを意識なさって書かれていると見てきました。ぼくなんかはそういうところは、つまり文学的な先端のところの問題意識のように思えて、専門的で高度なんだと感じます。及びがたいんですが、勉強になり、少しでも参考にしたり、取り入れられるところは取り入れたいと思いながら見させてもらっています。
 ところで、最近は毎日の表現を続けていますが、面白い、楽しいことを目標としているのに、実際に書こうとすると逆方向にばかり向かって行き、此処でも何かしら自分の限界みたいなものを感じてしまいます。こんなの読んだって面白くないようなあと、自分でも思うようなものしか書けません。もう少し、抗いを続けてみるつもりですが、そういう境地もなかなか難しいものですね。どうしても肩肘張った窮屈なスタイルになってしまいます。nishiyanさんの表現には、そういうところでもちょっと肩の力を抜くということができているような気がして、少し羨ましく感じています。これからも見させていただきますので、どうぞよろしくお願いします。



[38] 指示性ということについて

投稿者: nishiyan 投稿日:2017年 3月25日(土)11時08分19秒 ZG084041.ppp.dion.ne.jp  通報   返信・引用

 今日の作品は、一言も作品中に「母」はありませんが、前の作品との関わりから推量して老いた母と「わたし」の関わりの場が描かれているのではないかと思いました。表現された作品は、まずはその作品そのものを読むのが原則でしょうが、作者固有のものが具体性も引き連れて表現されますから、作者のことや他の作品も読まないと深読みは難しいなと思っています。

 わたしも表現する時どこまで指示性(説明描写)を尽くせばいいかなと思い悩むことがあります。もちろん、意味不明(指示性が希薄)でも自己表出性(あるものを外に放出したい欲求)の高い表現を目ざすことはできると思いますが、この場合作品が概念の枯れ林にならないようにするには、内臓感覚による生命感を込めるのが必須ではないかと思っています。

 短歌味体では、昔の「詞書き」のように註をつけて指示性を補う、表現の場を明示するということをすることがあります。


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